昭和40年12月26日 朝の御理解 ★
今日は、土居の共励会で、正樹さんの家であるようになっております。昨夜、昨夜じゃなくて、昨日、正樹さんが参りましてから、まあ、ご承知のように、あちらの、(?)道路を作っておるのですね。そして、こちらから、あの二台ですかねあの、何て言うですか、おー、何て言うですかねあの押しやる、ブルトーザー、ブルト―ザー二台を持っていった。その一台のほうがどうしても、調子悪くて全然能率が上がらないち言われますね。それで明日それを修繕、あの、(?)その為に仕事のほうが遅れておりますから、明日、私遅くなりましょうけれども、とにかく、遅くなっても自分所のいわば、(?)のほうと交代で今度は善導寺のほうななんですよ。ほんで、「とにかく遅くなっても、帰らせて頂きますから、どうぞ、お繰り合わせを頂きますように」というて、お願いしておりましたから、私、遅くなっちゃならん、遅くなったら、お供えの盛り付けするものもおるまいと思うてから、久富先生が夕方からおったぐらいでした。ところが、さっきから正樹さんがやってまいりましてから、(?)今日はおかげで早く帰っとりました。もう本当にお取次頂かねばいけませんち。どんなに専門家を連れてきても、連れて来ても分からなかったんです。能率が上がらなかった。ね。ところがちょうど、あちらに参りましてから、本当に気付かせて頂く事があってから、見せて頂いたら(?)。そんなわけで「おかげで今日の私とこの御祭り、共励会に早よおかげを受ける事が出来た」というてから、先ほど、迎えに出て参りました。
丁度私、昼から下がってすぐでしたけれども、福岡から日吉さんていうもうご主人が今日で三回目、私初めて今日あったんです。奥さんは前に何回もお参りしてきた事がある。「これはもうお父さん椛目でお話し頂きよるともう、どうしても、夫婦が勢を揃えてから、信心せねば、とても、おかげは頂かれんですよ。だから、あなたも参りなさい」というてから、参って見えられて二辺だけは、そうした事でしたから、私お会い出来なかった。
それが、その方は博多の駅の裏でですね、何ていうでしょうかね、なんか、とにかく、まあ、街の発明屋さん、というてですね、例えば餃子を作るのにですね、機械で作るとかね、今、もうここ、一年あまりそれに取り組んで、もう材料だけでも百万円から使ったち、いうわけ。それは、あの、駅弁を作るんですね。あれが一人に1時間程度でどがしこと言っておりましたね。それは、やっぱ二十、二十倍ぐらいはいち早く出来るち。ね。
もう、一時間で、えー、千何百出来るらしい。その、そういうようなあー、始め以来を受けてから、それは、簡単に出来るだろうとこう思うて請合ったところが、中々出来ない訳ですね。それで、奥さんがお願いに見えられましてから、どうしてもそのお弁当をこう詰めてから、その、あっちこっちがこう箱が汚れるそうです。で、こちらにお願いをさせて頂いてから、帰り掛けに奥さんが、はっとその気付かせて頂いた事があったっち。
それがね、(?)濡れた布をこう下げたらどうかとこうヒントだった。そのことをご主人に申し上げたら、はあーそれはよかヒントというてやった所が、それは出来るわけなんですね。汚れないで綺麗に出来る。
ところがその、現在又、いきあたっておられるのが、あの、熱いご飯ですればもう立派に出来るそうなんです。汚れもせずにきちっーと詰まっていくそうなんです。ところが、駅弁というのはね一回冷やしてでなからなければ詰められんそうですね。いわゆる、やはりお白湯を入れるもんですから悪くなるそうです。だからその、(?)あれは固まってですね、それが、弁当があちら、いわゆるこちら寄りするそうです。毎日毎日、3升4升ずつの米が、油臭いその、しけの為にですね、もう、鶏も豚も食べんそうです。脂臭くて(笑)それでも、やっぱ毎日しけの為にそれをしておる。今日は夫婦揃うてその事で出てこられたのですね。
もうおかげを頂きましてから、まあ私は大体こういうそのもう、人の為になると言ったような事をもう、道具を発明するのが趣味というわけですね。自分が儲かろうとも思わないけれども、もうとにかく、喜んでもらえる、能率が上がるようなその、機械を作って世の中に出す。だから、これが、まあー、完成すればです日本中のおー駅弁屋さんがこれを利用するようになるだろうという訳ですね。
毎日毎日そこを直し、ここを直ししては、もう一年あまり。その為に百万からのそのんー、材料を使ってですね研究をしておるですけれども、その、いわゆる、熱いご飯ですれば良いのだけれども、冷やいご飯でするといけないというだから、一遍熱いご飯を詰めておいて、そして、冷蔵庫に一遍冷やしてからお白湯をつけんならんというその、まあ、面倒なことなんですと言うわけですね。
この頃見えたのはそげな風でその、あんまり、その資金を突っ込んでしまい職人達にもう、この年末に(?)状態で、お繰り合わせをお願いしておられましたが、おかげあるところからその、その方が非常に欲のない方でですね、もうとにかく人が喜ぶようなものを発明しようというただそこに楽しみを持った、あー人らしいんです。中々、今日あーお会いしたんですけれども、真面目な紳士なんです。
そこから、おかげを頂いてもう本当に不思議なくらいにおかげを頂きましてもう(?)出来ました。まあ、おかげで今年はそのそれでまあ、仕事を続ける事が出来るんですけれども、もうその、頭を痛めておる寝ても覚めてもこの、その、この事を考えて続けておるち言うわけなんです。
★私その事をお願いさせて頂きよりましたら、あの、大きな今言う、大きな皿を楯のようにしてから、(?)してあるのがありましょうが。二階にもありますよね。大きな鉢なんかをたてに立ててから観賞をするわけなんです。それが、裏が、後がこうたてが小さかったりするともう、こげんたっとる訳なんですね。ですから、危なかろうごたる。これでは。 それで、この位にこうなれば、観賞用にも(?)あるし、又安全でもあるわけなんです。それで、ここんところ、(?)もうちょっと改善の余地のあるという事を頂きましたから、「もうちっと、あの改良の余地がありますですね」もう、いうてからあの申しましたが、もう実はもうちょこっとですけれども改良しなければならんというのが今申しましたような事だったです。それがその、私今の所、ヒントを与えた所が、じーと考えておられたんですね。そしたらその「はあ、お母さんこれだ」というてからね、(?)ご飯が入っていくそうですね。今の機械は。だからこそれをちょっとこう寝せたらどうだろうかというて、もう三十分くらい私が奥さんと話しておる間ジーと目をつぶって考えておられたんですけれども。
「はあー、これは何かあーその、ヒントを与えて頂いたような気がする。帰ってからまあ、立っておるところ全部寝せてみて一つまあやてみろう」ちいうてその、今日帰られたんですけれどもね。まあ、それにしろ、これにしろですね、もう本当にあの人間の知恵というのは限られておる。ね。ですから、やはり一つの霊感といったようなものが、お互いの心の中に頭の中に働いて、しかも、その、神様の働きをもって、正輝さんのそれでも同じ事。今日の日吉さんのお弁当を作る機械においても同じ様な事を言えるんですけれども、ここに両方とものですね、その、まあ、成る程おかげを頂くという元はこの辺にあるのだなあという事がある事をですね、久富さんの場合でも、今日の御祭りですたい、今日の自分方の月に一回の御祭りにどうでも、早く帰りたい帰らせて頂きたいという願いを昨日しておったという事ですね。
いわゆる、神様がいわばあの、(?)ここまで帰ってくるという事ですからね、行ったり来りして。昨日も行って帰って来た。今日も又そのために、大体御祭りがないのなら帰ってこんでも良いのですけれども、帰って来る。そういうところにその願いの筋というものがあるですね。神様に喜んで頂けれるとかその、言ったものが、あー、中になからなければならないという事。その街のいわゆる発明家でしょう。その、日吉さんの場合でもそうです。とにかく、んー、これによってですね、ただ、一儲けしてやろうというのではなくて、この機械を作ったらどの位人手が助かるか分からん。どの位皆が喜ぶか分からん。そこを考えたら儲けの事ではありませんちいうてから今日もいうておられましたけれども、あの、そしてから今日言われます事は私が毎日毎日3升、4升のお米をですね、無駄にしておる事が一日も早う成就いたしませんと、それだけお粗末になって、えーその、神様のお話を頂くとご無礼になると思いますこう言われるのですね。
だから、そういう、そのお粗末になるご無礼になる。もうそれだけ損になるというのではなくてです、そういう気持ちでならおかげを頂きますよというて、今日帰られたんでございますけれどもね。その、どちらの話し致しましても、その、神様に喜んで頂けれるその一つの思い方、道筋のというものの上にです、神様の働きを頂くのであり、それも、どうにも出来なかった問題がです、ちょっとヒントを与えて頂いただけで、その、片一方は動くようになり、片一方のほうはそういう新しい、機械が出来上がっていくというですね、今日はそんな御取次をさせて頂いてから人間のいくら知恵があるとかどうとか申しましてもですね、やはり、神様のおかげを頂いて、やはりヒントを頂かねば出来ないということですね。
同時に、人間の一生懸命そこんところにその、取組ませてもらって、ね、人間の限り、いわゆる人乍らの限りを尽くさせてもろうて、そこに、神乍らな働きが頂けてくる。まあ、そうした、発明なり、又は正樹さんのようなお繰り合わせになってくるのではないかとこう思うのですね。お互いの願いというものをもう一遍確かめてみて、果たしてその願いというものが神様のお心に叶うような願いの筋になっておるかどうかということを検討してみなければならないと思うですね。
どうぞ。